大型カーフェリーの元客室乗務員チーフパーサーで二科展会員の洋画家 鶴田英輝。鶴田英輝は1968年に阪九フェリー(北九州市)に入社。勤務の合間に船上からの景色を描いたり、全国を旅して海や山、川などの自然をスケッチしてきた。82年に初出展で第67回二科展に入選したほか、これまで多数の公募展で入選。絵画に専念するため、30年間の海上勤務を終え18年前に定年退職した。
雄大な阿蘇山を描いた「火山阿蘇」や六甲の紅葉を題材にした「湖映」などパステル画や水彩画、油絵等をインタネットギャラリーとして展示しております。
一枚一枚に当時の感動を込めております。
親の言葉と絵のいかなる作業でも、また絵の仲間の貴重な意見には、無駄が無く、自分にとっては「人生指針の先生」であると、常に思っている。
「宝剣手裏に在り」親から授かった人生を、己を鍛え磨く自分の道を一歩一歩、努力せずには「もったいない・・・」と思う昨今です。文武両道、身体を鍛えながら絵筆を執る人生、生かされている自分、人生に感謝そして感謝、感謝こそが何事に於いても、まず一歩の始まり。
初心を忘れる事なく、万事一生感謝。
阪九フェリー(株)の豪華フェリー船内サロン/阪神大震災チャリティー油絵個展/名古屋(かね吉栄画廊)、福岡(北九州市三菱銀行本店ギャラリー、北九州市小倉井筒屋デパート、北九州市黒崎井筒屋デパート、福岡市国際スポーツセンター)、下関(下関グランドホテル、一の俣温泉グランドホテル)、熊本(熊本城二の丸公園、VOLVOアートギャラリー、流通情報会館、熊本市グリーンピア会場)、阿蘇(阿蘇観光ホテル)/その他個展多数
日本に最初の洋風美術団体「明治美術会」が1889年に創立され、7年後の1896年に東京美術学校に洋画科が設置されたのが、わが国の洋画壇の黎明であります。この黎明期にフランスに留学した新進の芸術家たちが帰朝するに従って、文部省展覧会の審査上に新・旧二派の対立が目立ってきましたので、新・旧を一科と二科とに分離するように政府に要求したのですが、時期尚早なりと却下されました。そのため1914年に新しい美術の確立を標榜して、石井柏亭・梅原龍三郎・有島生馬・坂本繁二郎らが文部省展覧会から分離して、在野の美術団体として「二科会」を結成し、つづいて安井曽太郎・正宗得三郎・熊谷守一等が参加しました。以後、二科会は常に新傾向の作風を吸収して岸田劉生・佐伯祐三・小出楢重・中川一政・関根正二・林武・古賀春江・藤田嗣治・松本俊介・長谷川利行・岡本太郎・東郷青児など美術史上欠かすことのできない多くの著名な芸術家を輩出し続けて発展をしてきました。また、二科会から派生した美術団体は、独立美術協会・一水会・行動美術協会・二紀会・一陽会等があります。さらに1979年には法人化が実現し、社団法人二科会として時代に即応した新しい歩みをはじめ、2007年からは六本木の国立新美術館に会場を移し、二科美術展覧会を開催してきました。そして本年4月1日より公益社団法人二科会として内閣府より移行認定され、二科会の次世代への歴史の一頁を開くことになりました。公益的芸術活動を通して、広く社会への貢献と芸術の普及をめざし、春には東京都美術館において会員の造形上の実験的創造と新人育成を旨とした春季展を行い、秋には国立新美術館を熟成度の高い制作の発表の場として二科美術展覧会を開催し、各主要都市にて巡回展を実施してまいります。2015年には二科会は百周年を迎えます。公益法人としてのあるべき姿と活力の実現に向けて歴史と伝統を継承しつつ、そして発展させるべく、会員一同気持ちを新たにして鋭意精進して参る決意であります。
福岡市ダイエー「福岡ドーム」にて阪神大震災チャリティー油絵個展。
第95回記念二科展 記念賞受賞 F100号
平成13年、絵に専念するために阪九フェリーを早期退職、自宅にアトリエと空手道場を開き活動範囲を広げてきた。「海の男」として生きてきた現在のテーマは珊瑚。作品を通じて、美しい海、珊瑚の保護を訴える。